囲碁トリビア2
こんにちは。みやれーです。
囲碁トリビアって僕が勝手に言ってるだけで、囲碁雑学のまとめですけどね。
昔は黒番白番の先後が逆だった
囲碁の歴史はとても古いもので、少なくとも平安時代には高貴なゲームとして定着していたそうです。
[源氏物語]や[枕草子]にも囲碁は登場してますし。
今では黒番は先手で白番は後手が公式ルールですが、当時は逆で、白番が先手で黒番が後手でした。
いつ何故入れ代わったのかはわかりません。どうしてでしょうね?
あとこれには少し面白い話があります。
囲碁は先手が有利と言われていますので、実力が下の人が先手を持ちます。
当時は白番が先手ですから、下手の人を白人(しろうと)、上手の人を黒人(くろうと)と呼んだそうで、現代の素人玄人の語源という説があります。
ただこの説は間違いじゃないかとも言われているそうなので、誰かに話す場合はお気をつけて。
本因坊道知は本気を出さずに名人になった?
本因坊家四代目当主道知。囲碁界最大の巨匠本因坊道策の実子とされる人です。
道知の才は道策に劣らぬほどだったらしく、13歳で本因坊家を継ぎ、20歳になるころには日本の頂点に立っていました。
ただ、道知は20歳頃には本気で碁を打っていないと言われています。理由は相手になる人がいなかったから。
その根拠となる名人に関する逸話があります。
江戸時代の名人というのは絶対的な権威があり、日本一の実力者で、囲碁の家元四家(本因坊、安井、井上、林)から推挙された一人のみがなれます。
当然、家元四家は自分の家から名人が出た方がいい訳で、名人を推挙する際には大体いざこざが起こるものですが、道知の場合も他家は推挙を渋ったとされています。
道知からすれば実力は飛び抜けているのですから、当然名人になれるところを渋られたのに怒り、「名人に推挙しないのなら本気を出す」と書状を送ったそうです。
当時のプロ棋士の公式戦は[御城碁]といい、そこで打たれた棋譜は将軍様へ献上されます。
そんな場所で道知に簡単に捻り潰されては困ると、他家は慌てて名人推挙したのだとか。
そういう記録が残っていることもあり、道知が本気を出していないとされています。
僕としては、一局でいいから道知の本気の碁を残して欲しかったですけどね。
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