僕は昔、戦闘狂でした!
どうも!こんにちは。みやれーです。
僕は自己管理が苦手なのかもしれません。というのも、囲碁の勉強が面白すぎて、文字通り寝食を忘れて没頭してしまうのです。この手にはどう対応するか。この時の形勢はどうか。など、考え出すと夜も眠れないので昼に寝ています。
コメント
先日、ブログにコメントを頂きました。ざっくり要約すると「序盤を強くするにはどうしたら良いか」といった内容で、オススメの棋書などを書いてコメント欄に返信をさせて頂きました。ですが、僕がコメントに返信をしたのはこれが初めてでして、不慣れ故に、相手方にちゃんと返信が届いているのかがわかりません(>_<)なので一応、ここで「返信したよ」とアナウンスしておきます。あ、返事はなくても大丈夫ですよ^ ^
序盤
実は僕自身も、序盤戦は不得手と感じていて、よく「ぬるい」と言われます。後半勝負の方が好きなので、そこへ誘導している意味もあるのですけど、以前、新聞の観戦記に僕の碁を載せていただいた時も、僕が打った序盤の手を指して
「およそ強い人が打つ手には見えない」
なんて書かれたりして(笑)、僕の感覚は人と違うのかな?なんて思ったりもします。
そんな僕ですが、子供の頃は戦闘大好き戦闘狂だったと言えば驚かれるでしょうか。アマ六段だった中三くらいの頃はひたすらに戦う、攻める棋風で、布石でも目外しを愛用していたくらいです。
中三の頃の自戦譜。僕の黒番。とにかく戦いを誘うことしか頭にありません
その後も初手十三の七を愛用したり、五の五へ打ったりと戦い思考の棋風だったのですが、最近のブログやYouTubeに載せている僕の棋譜からわかる通り(わかってくれたらすごく嬉しい)、そんな破天荒な戦いを挑む碁は打ちません。
では何故そこまで棋風が変わったのか。
柯潔九段の棋譜に見た形勢判断の勉強
【報告】囲碁のプロ試験を受けます
どうも!こんにちは。みやれーです。
子供の頃から夢だった
僕が囲碁を始めたのは6歳の頃でしたが、その頃はただ囲碁教室に通っていただけで、なんとなくで囲碁を楽しんでいました。
プロを強く意識したのは13歳になる年。中学校に上がり、新生活が始まって少しくらいのことでした。当時、僕の囲碁知識の大半は「ヒカルの碁」であり、棋力も初段足らず、囲碁界のことは何も知らない状況です。
ある時ふと、ヒカルが囲碁のプロになるために院生というものになっていたことを思い出します。当時は漠然と「プロになるのも良いな」くらいの考えを持っていたため、もし自分が院生になるとしたら、何をすれば良いのだろう?と、パソコンで院生のことについて調べ始めました。ここで、僕は現実を知ることになります。
ホームページには、書類を日本棋院へ送ったあと「面接」と「プロ棋士との試験碁」が必要とのこと。面接はともかく、試験碁?当時の僕は衝撃を受けました。なぜならそこには、試験碁で使う年齢別のハンデが記載されていたからです。
13歳/四子
僕の目に飛び込んできた一文でした。いくら世間知らずとはいえ、僕の師匠はプロ棋士。僕に四子が不可能なことくらいはすぐにわかります。
これまでなんとなくで囲碁を続けてきて、初段近くであれば、同年代ではそれなりに強い方。しかし、その一文からはプロ棋士は不可能と言われている気がして、現実を目の当たりにしました。
普通ならばここで、パソコンとともにプロ棋士への思いを閉じるのかもしれません。ただその時、僕の心から沸々と湧いてきた思いは
「本気でプロを目指したい」
でした。多分、馬鹿だったのだと思います。登りたいと言っている山がエベレストであることに気付かず、近所を歩く感覚で、僕は山を登り始めました。
腹を括ってからはもう一心不乱で、学校もほったらかして囲碁の毎日。誰よりも出遅れた気持ちは強かったですから、並みの努力では間に合わないと、勉強の日々を続けます。
その甲斐あってか、2年後にはアマ六段となって中学生の全国大会で準優勝。師匠からも「プロ試験を受けて良い」と背中を押してもらえました。
しかしそれから20歳となった今日まで、プロ試験を突破することが出来ていません。23歳の年齢制限も近づいてきて、人生の分岐点に立たされています。ですがやはり、僕としては、プロ棋士になることは憧れであり、夢であり、これまでやってきた意地があります。プロ棋士になってからやりたい事もあります。
だから今年も、プロ試験を受けることに決めたのです。
プロ試験ってなに?
日本棋院のプロ試験に受験する人は主に2種類いて、一つが「院生」と呼ばれる人達。日本棋院に所属して、プロ棋士になるための研鑽を積む、17歳以下の子供たちのことです。
もう一つは「外来」と呼ばれる人達。これは、院生ではないのだけれども実力があり、プロ試験を受験するに値すると判断された23歳以下の人達になります。ですから、僕は外来になりますね。
その2種類の人達で毎年総当たりのリーグ戦を行い、そこで1位になった人が、プロ棋士になることが出来ます。それがプロ試験です。
また、プロ試験は年に一回受験出来るのですが、場所は三ヶ所で行われており、
の三ヶ所です。
僕は、本当は関西総本部で受験した方が距離的にも近く、ありがたいのですが(師匠は関西総本部所属棋士)、今年関西総本部は院生だけでプロ試験を行うため、外来である僕は受験出来ず、外来を受け付けている中部総本部で試験を受験することになりました。
プロ試験は長い
先程、プロ試験は総当たりのリーグ戦と言いました。すると当然対局数も多くなってくる訳で、毎週土日に対局が付くものの、プロ試験は長期に渡って開催されます。
今回僕が受験する中部総本部を例に説明すると、まず、8月25日から「外来予選」というものが始まります。これは、今回プロ試験を受ける外来14名で総当たりのリーグ戦を行い、成績上位4名を選出するという予選。まずはこれで一ヶ月くらいかかります。
次に始まるのは「合同予選」。これは、上記の予選を抜けた4名と院生とで、総当たりのリーグ戦を行い、成績上位3名を選出する予選。これは院生の人数が把握出来ていないのですが、大体一ヶ月くらいかかるでしょう。
その次に始まるのが「本戦」になります。これは、予選を抜けた3名と、元々院生内で成績が上位だったためシードされていた院生数名とが、総当たりのリーグ戦を行い、成績1位を決めるものになります。この1位が晴れて、来年からプロ棋士としてデビュー出来ます。
要するに、プロ棋士になるまでには三段階のリーグ戦を勝ち抜かねばならず、8月末から始まるプロ試験は12月頃まで続きます。
ブログ、YouTubeで報告していく
以前、僕は今関西にいるとブログに書きましたが、これはプロ試験を受けるためでした。本当は日本棋院中部総本部がある名古屋付近で泊めてくれる人がいれば良いのですが、生憎そんな知り合いはいません。なのでなるべく、近い所に居れるよう、富山から京都のおばあちゃんの家まで遠征してきたのです。
先程も軽く言いましたが、プロ試験が始まるのは8月25日になります。ここからプロ棋士を目指す対局が続くので、毎日囲碁漬けの生活になりますが、出来ればその日々の様子を、ブログやYouTubeで報告したいなと考えています。
プロ棋士になるか、なれないか。未来のことは誰にもわかりませんが、プロ棋士を目指しているこの瞬間をお見せ出来るのは今だけなので、これも一つのエンターテイメントとして、お伝え出来れば最高だなって思います。
もしも「面白い!」っと思って頂けたら、それが一番嬉しいです。まだまだ至らない点の多い僕ですが、精一杯頑張ります。よろしくお願いします!
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新碁聖は許家元!井山七冠の牙城崩れる!!
どうも!こんにちは。みやれーです。
8月3日、大阪府大阪市「日本棋院関西総本部」にて、第43期碁聖戦挑戦手合い五番勝負第三局か行われました。
前回記事
最年少碁聖
許七段の2連勝で迎えていた第三局。本局を勝てば碁聖位奪取とあって、とても注目された一戦でした。そのため、対局結果はネットニュース、テレビニュースで大きく取り上げられていました。
結果を先に言うと、本局は挑戦者許家元七段が勝利し、3連勝での碁聖位奪取。遂に井山七冠の一角が崩れることとなりました。
これにより、許家元新碁聖は史上最年少碁聖(20歳7ヶ月)となり、更にプロ入り後史上最短での七大タイトル獲得(5年4ヶ月)の記録を樹立。
逆に、井山裕太さんの七冠独占日数は290日でストップしたそうです。
井山裕太VS許家元
2018年8月3日。囲碁界の歴史に大きな1ページが書き足される日となりました。結果もそうですが、碁の内容も期待に違わぬ大熱戦。今回はそんな熱戦の中から、僕が気になった部分の感想を述べさせてもらいたいと思います。
黒番 井山裕太。白番 許家元。
実戦途中図1
事の発端は黒1のノゾいた手から始まりました。これは当然白2とアテて分断して来られることを想定していて、黒3とノビて上辺を制圧しつつ、黒5とハネて白石に喰らい付こうという、目一杯に頑張った構想の一手でした。良くも悪くも井山碁聖らしい発想です。
実戦途中図2
しかし白1〜5と切り返したのが素晴らしいカウンターでした。井山碁聖はこの手段を軽視していたのでしょうか。黒から上手く手が出ません。
参考図1
まず黒1と出る手が目につきますが、白2にはシチョウを回避するため、黒3とノビるくらい。すると白4、6を先手で利いて、白8へ手を戻されます。
これは本来、黒が制圧したかったはずの上辺が白に止められ、更に中央にも白石が増える分かれに。黒は辛い格好です。
実戦途中図3
実戦選んだのは黒1の抜き。白2とアタリされるのが屈辱ですが、中央に白石を増やさないために我慢しました。しかし、やはり上辺は白に進出され、右上の団子形も辛い。黒に威張れた所はありません。白成功の分かれでした。
新碁聖許、井山六冠へ後退
上記の通り、結果は挑戦者の許家元七段が3連勝にて、碁聖位を奪取。最年少の新碁聖誕生となりました。
一局を通して、本局は井山碁聖の力強い仕掛けを許七段が交わしきった印象を受けました。もちろん井山碁聖にも勝つチャンスはありましたが、許七段が深く正確な読みを存分に発揮させ、しっかりと井山碁聖を上回っていったのでしょう。とてつもない新人が現れました。許七段恐るべしです。
井山碁聖失冠により、七冠から六冠に後退。冷静に考えれば、七冠全制覇していたこの現状が特別だったのですが、「六冠」の響きにはどこか、寂しさを感じてしまいますね。このぽっかり空いた隙間にはぜひ、世界戦優勝の一報を埋めて欲しいものです。
20歳で新碁聖となった許家元碁聖と、井山裕太六冠。両者の戦いはここで一旦幕を閉じますが、二人の未来にすごく期待が高まりますね!
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張栩九段がリーグ全勝で名人挑戦!!
どうも!こんにちは。みやれーです。
第43期名人戦
8月2日、第43期名人戦挑戦者決定リーグ戦の最終一斉対局が行われました。
挑戦者は第7局が終わった時点で、張栩九段が7勝し、井山裕太名人に挑戦することが決まっていたのですが、張栩九段は今日の最終戦も勝利し、全勝で挑戦者に名乗りを上げました。
挑戦手合いは井山VS張
とても胸の熱くなる組み合わせとなりましたね!
張栩九段が七大タイトル戦の挑戦手合いに出場するのは5年ぶり、名人戦に限れば9年ぶりとなるようです。その時の相手は、20歳だった井山八段(当時)でした。
やはり今の井山裕太伝説が始まったのはあの名人戦だったと思いますし、その後続いた張栩VS井山裕太の熱い戦いが始まったのもあの名人戦でした。そんな二人がまた、名人戦の舞台で相見えるというのは、なにか運命的なものを感じますね。七番勝負の開幕が待ち遠しいです。
最終戦 張VS高尾
今日の最終一斉対局は全て、ネット対局場「幽玄の間」にて生中継されていました。なので今回はその中から、挑戦者となった張栩九段と高尾紳路九段の碁を一部、紹介したいと思います。
実戦途中図1
勝つためではなく、楽しむための一手
どうも!こんにちは。みやれーです。
最近ネット対局場の「野狐」で早碁ばかり打っています。早碁とは、持ち時間1分の秒読み15秒とかですね。この時間設定だと一局が早く終わるので、勢いそのまま気の向くまま、ひたすらに対局を重ねていたのですが、上手い具合に幸運が重なって、久しぶりの野狐九段に昇段することが出来ました!
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